勿来発電所の誕生

沿革

勿来発電所の誕生

 1950年代の後半になると戦後の復興とともに、電気の需要が高まってきました。
 その一方で石炭は、エネルギー革命(安く豊富な石油に)の波が押し寄せるきざしが見えはじめました。
 常磐地区の産炭地では、未利用の低品位炭(3,500kal)を活用した石炭火力発電所を建設し、石炭鉱業の合理化と電力需要の安定を図ろうとしました。
 これらの事情を背景に、1955(昭和30)年、東北・東京両電力会社や常磐地区の主要炭鉱会社の共同出資により、常磐共同火力株式会社勿来発電所が誕生しました。

1955(昭和30)年 発電所をつくろう

 勿来市(現いわき市)の積極的な誘致により、発電所用地(15万5千㎡)を無償提供され、勿来発電所の建設がはじまりました。
 1957(昭和32)年11月には、1・2号機(各3万5千kW)が営業運転を開始しました。

勿来発電所の誕生 発電所をつくろう

         1・2号機完成当時             盛大に行われた1・2号機の竣工式

1955(昭和30)年    勿来市制施行
1959(昭和34)年  第一次家庭電化ブーム(白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機など)

 

1960(昭和35)年 電気が足りない

 1960年代半ばには、高度経済成長により電力需要が増大し、3・4・5号機(各7万5千kW)を建設しました。
 1961(昭和36)年には総出力29万5千kW、年間石炭使用量150万tの低品位炭専焼火力発電所へと発展しました。

電気が足りない

         1~5号機完成当時

1964(昭和39)年   東京オリンピック開催
 東海新幹線開業

1965(昭和40)年 石炭を使おう

 1960年代後半から1970年代、石炭業界の斜陽化や産業地域振興政策に呼応して、常磐炭田の主力炭である精炭(5,200kcal)使用の6号機(17万5千kW)・7号機(25万kW)を建設しました。
 1970(昭和45)年の年間石炭消費量は235万tになり、総出力は72万kWになりました。

石炭を使おう

          6号機完成当時

1966(昭和41)年   いわき市制施行
1968(昭和43)年  第二次家庭電化ブーム(カラーテレビ、クーラー、カー)
1969(昭和44)年  アポロ11号人類初の月面着陸

1970(昭和45)年 石炭と重油で

 1971(昭和46)年、常磐炭鉱の相次ぐ閉山・縮小にともない、常磐炭の供給量が不足することになり、その分を重油に代替させるため、ボイラーの改造や重油受入れ設備(小名浜ステーション・重油パイプラインなど)の建設をしました。
 また、1973(昭和48)年には北海道炭を導入することになりました。

石炭と重油で

       当時の小名浜ステーション

1972(昭和47)年  冬季オリンピック札幌大会開催
 日中国交正常化の共同声明発表
1973(昭和48)年  第一次オイルショック(石油危機)

1975(昭和50)年 新鋭火力へのチャレンジ

 1970年代半ば、電力需要は第一次オイルショックの後の落ち込みからの回復も早く、1977(昭和52)年末には、東北・東京両電力会社から増設要請を受け、1983(昭和58)年に8・9号機(各60万kW)を建設しました。

新鋭火力へのチャレンジ

         建設中の8・9号機

1976(昭和51)年  常磐炭鉱西部坑閉山
1978(昭和53)年  宮城県沖地震発生
1979(昭和54)年  第二次オイルショック

 

1980(昭和55)年 効率化とやさしい環境を

 8・9号機は、石炭と重油の混焼とし、環境対策に万全を期すなど、当時最新鋭の技術を駆使した発電設備でした。
 一方、電力需要の伸び悩みの影響を受け、1~7号機は順次廃止または休止となりました。
 また、1982(昭和57)年には海外炭を導入しました。

          排煙脱硫装置

1982(昭和57)年  東北及び上越新幹線開業
1983(昭和58)年  日本海中部地震発生

 

1985(昭和60)年 石炭を流体化しよう

 1985(昭和60)年、石油代替エネルギーとして、CWM(コール・ウォーター・ミクスチャー)の実証試験を行い、1985(昭和60)年から8号機で導入しました。2002(平成14)年の生産終了まで、延べ517万tを使用しました。
 また、1987(昭和62)年、7号機は休止の後、国内炭消費のため運転を再開しました。

 CWM(コール・ウォーター・ミクスチャー)

     コール・ウォーター・ミクスチャー

1986(昭和61)年  東北自動車道全線開通
1987(昭和62)年   国鉄(現在のJR)民営化

1990年(平成2)年 石炭をガス化しよう

 1993(平成5)年に経営理念を制定、併せて地域協調コミュニケーション宣言を行い、地域社会との一層の信頼関係を図ることとしました。
 また、1988(昭和63)年から1996(平成8)年まで、勿来発電所構内において実施された、石炭ガス化複合発電の研究(国家プロジェクト)に協力し、大きな成果をあげました。
 1991(平成3)年、電力需要の伸びが高まり、6号機は夏場の供給力確保のために運転を再開しました。

  「経営理念」(石塚勝豊元取締役 筆)

1990(平成2)年  東西ドイツ統一
1991(平成3)年  バブル崩壊

1995(平成7)年 電力自由化の中で

 1995(平成7)年、電気事業法が改正され、電力業界にも競争原理が導入されるなど当社を取り巻く環境は一段と厳しいものとなりました。

電力自由化の中で

1995(平成7)年  阪神淡路大震災
 電力自由化

 

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